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指導員によるリレーブログ ダルマさんのつぶやき 其の十八



2013年 02月 27日


指導員という役割。
ゆとり教育、体罰、いじめ・・・最近は、いやでも目や耳に入ってきます。
私の学生時代にもいじめはありましたし、体罰もありました。しかし、理不尽な理由で殴られたことはなく、親もむしろ先生に殴られて、感謝しろという感じでしたので、最近のマスコミや、世論の方向に、私はややとまどっています。中にはどうせ殴られはしない、みんなで先生をおとしいれてやろうとする子供たちが出てこないか心配になります。悪いことは悪い。悪いことをしたら、怒られる。そこのところだけはうやむやにならない様にしたいです。私は少林寺拳法の指導者としては、優しすぎると言われることがあります。自分の技が未熟なため、出来ない子供たちに、つい自分を投影しているのかもしれません。でも、時には厳しくした方が伸びる子もいます。それぞれの個性に合わせた指導が必要だと最近思います。スポーツの世界での指導者は、真剣になればなるほど、熱が入れば入るほど厳しくなるのはわかります。でも、私も経験ありますが、やっちまえ、蹴落とせ、あんなのに負けるな・・・なぜ出来ないんだ、だめだなおまえ・・・これはやはり私にはゆるせません。人としての否定。これだけはしないように心掛けています。でも最近は、言葉づかいひとつでもデリケートになって来ました。私もたまに乱暴な言葉で威圧しているので、反省です。自分では自覚ないですが、子供たちから見れば立っているだけで私は充分みんなを威嚇している大きさなんですね。子供たちの目線に降りて話さなければなりません。それと私のモットーはやる気を失わず、楽しく長く続けて貰うこと。それには口だけではなく技のうまさ、正確さを伝えられる様にならないと、そのうち指導される立場になってしまいそうです。そうならないように、ますます修行しなければ・・・指導者も日々勉強です。               
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